昨日、「知的生産の技術」という本を読んだ感想を書こうとしたのですが、書けなかったので理由を考えてみました。
一冊を集中して読むという習慣がついていないため、いつも本をパラパラめくって適当に目を通し読んだ気になっています。今回も同様に流し読みのままでした。
1969年に第1刷が発行され、49年後の2018年には第97刷が出版されている評価の高い本を、このブログという公開の場で、適当に読み適当に発表して大丈夫なのだろうかという 気持ちになりました
いつも本を読むときは、「これが読みたい」という本しか読んだ経験がないため、頂いた本の場合、まず「この本は自分が読みたい本なのだろうか?」という事を、本を読む前の段階で無意識的に意識?しているのかもしれません
amazon等にある本の評価をざっとみたところ、この本は1969年に第1刷が出版されているにも関わらず、現在でも十分通用する内容である、という意見が多くあると感じます。
しかしその1969年がどんな年だったのか、その年にこの本が出版された人々の反応はどんなだったのかは分かりません。
本の中に、読者の反応について書かれていますが、その反応していた人々はある程度学力のある人たちなのか、それ以外の一般の人たちも多数いるのか、と考えているうちに、そんなことが分からない自分が感想を書いても良いのだろうかと思ってしまいました
感想文を書けない理由を考えていたところ、ふと、そもそもなぜ読書感想文を書こうとしたのだろうかというところにたどり着きました。
そこで、自分が必要以上に読書感想文を書くことにこだわり過ぎているのではないかと気づきました。読書感想文を書く事自体が最終ゴールのようになっていました。それによって何をするのかというところに気が行っていませんでした。
これから少しずつ本を読み、自分なりに感じたことと、それからどうするのかまで発信していきたいと思います